新しいオンライン映像シリーズとインタラクティブ フォーラムへようこそ。チベット難民の現在の生活をご覧いただけます。観賞、 シェア、そして ディスカッションにご参加ください。毎月 新しい映像が更新されます。

「どこにいようがチベット人の権利は大切だ。この短編映画は美しく力強くチベット人の心をよくとらえている。」

- ジョアン・ハリファックス老師 Roshi Joan Halifax ウパヤ禅センター長

「心をわしづかみにされた。この魅力的な映像を見てチベット人のエネルギーを知ってほしい。」

- ドゥワイト・バシール Dwight Bashir 世界自由宗教連盟米国委員会

「心をうたれ、無関心ではいられないられなくなる。できることをしたくなる。」

- ステファン・レバイン Stephen Levine 詩人、ベストセラー『A YEAR TO LIVE(原題)』著者

「息をのむ映像だ。チベット人社会にとって、人権が侵された全ての社会にとって、力強い真の贈り物だ。」

- R.アダム・エングル R. Adam Engle マインドアンドライフインスティチュート共同創始者

「偉大なシリーズだ。これまで見たドキュメンタリーで最も力強く痛烈に真実を物語っている。」

- トレバー・ロマン Trevor Romain PBSホスト&ベストセラー『THE ART OF CARING(原題)』著者

僧院の調理員

テンパ・チョダーはチベット人亡命者で、インド・ダラムサラのナムギャル寺院で料理長をしている。ダラムサラ、そこはダライラマ14世とチベット亡命政府の拠点。テンパ一家は大きなリスクを冒して、チベットを後にした、信仰の自由と子どもたちへのチベット語のチベットの歴史の教育を求めて。 2011 年 10 月、ダライラマの4日間に渡る講話があり、テンパとそのスタッフは 5000人の参加者の朝食と昼食の準備をした。

「祖国を失う以上の悲しみがあろうか」 -エウリピデス

はじめに:チベットは1949 年に中国が侵攻してくるまでは独自の豊かな文化、言語、通貨を持つ独立した国家だった。 10 年に及ぶ和平交渉が破綻した1959年、チベットの宗教的、政治的指導者であるダライ・ラマ14世法王は、インドへの亡命を余儀なくされた。それ以降、何万人ものチベット人がダライ・ラマに続いてヒマラヤ山脈の危険な道を越えて、インド、ネパール、ブータンへ亡命し、難民生活を送っている。

現在のチベットでは、非暴力での抗議活動や宗教の自由を要求すれば、必ず懲役や拷問が待っている。2009年以降130人以上のチベット人が、チベットの自由と、中国が犯罪者として扱うダライ・ラマの帰国を求めて、公共の場で焼身抗議を行った。

しかし弾圧を逃れて祖国チベットを捨てるのも厳しい選択である。深い疎外感に苦しみ、家族の絆が壊れ、何世代にも渡ってこの苦しみを抱えていくのだから。ダライ・ラマを慕い、チベット仏教の教えに支えられながらも多くのチベット難民は、今も亡命時に負った心の傷に苦しんでいる。国境の内に留まる者も、外へ超えた者も文化殺戮によって、自らのことばと伝統を奪われる恐怖に常にさらされている。

ここに出てくるのは、どこにでもいるチベット難民たちの当たり前の日常の風景である。困難を耐え抜いた一人ひとりの物語、そこには彼らの苦しみを遥かに超えたものが詰まっている。

卒業生

ケルサンとテンジンは チベット難民の子供たちの教育機関チベット子供村の高学年生。亡命生活を送る若いライターたちの声を届けるため『亡命世界』と名付けた新聞を自分たちで出版している。 これまで2009 年から続く130人以上のチベット人が、チベットの自由と中国共産党がダライ・ラマの帰国を許すことを求めた焼身抗議を最も多く取り上げている。

反革命分子

アマ・アデーは亡命チベット人の中でも貴重な存在。「アマ」はチベット語で「お母さん」を意味する。亡命する前、中国人民解放軍による東チベットへの最初の侵攻を目の当たりにし、その後、27年にわたって政治犯として生き、度重なるレイプ、拷問、飢餓を生き抜いてきた。監禁中 2人の子供たちとの接触は一切許されなかった 。85歳の今、自分に命があるのは、亡くなった数百万人に代わって話を伝えるためだと信じて、近所の寺に毎日通っている。

The Athlete - JA

The Thangka Painter - JA

The Counselor - JA

The Third Pole - JA

The Lhamo Master - JA